フリーペーパーって何?
フリーペーパーの歴史

 JAFNAの調査結果によれば、昭和15年(1940年)創刊の芦屋倶楽部のタブロイド判の会員紙「芦屋倶楽部」が最古のようだが、同紙が会員紙から実際にフリーペーパー化して、部数を10万部に拡大した時期は、現在の代表者も不明だというので、これを嚆矢とは断言できない。

 次に古いと思われるのは、戦後昭和21年(1946年)に、中日新聞系販売店連合が愛知県一宮市で始めたミニコミ月刊紙13紙(1紙「一宮タイムス」のみ日刊、全て現存―ブランケット判の「えきにし」、「タウンニュース」、「尾西タイムス」、B4判の「マイタウン浅井」、「タウンきそがわ」、「タウンニュース葉栗」、「月刊いまいせ」、「わが町きたかた」、「フレンドちあき」、「萩原カレンダー」、「ファミリー奥町」、「せとき」など(2700部〜18000部)がある。

 次いで昭和26年(1951年)8月16日にガリ版刷りで旬刊で創刊された「滋賀報知新聞」がある。「湖東よみうり」の名で創刊されたが、のち今の題号に変わった。創刊者は元読売新聞記者、14エリア版があるが、そのうちのひとつが日刊紙であるのは、滋賀県には今でも県紙がない背景からか。

 その次に登場するのが、昭和30年(1955年)の新潟市の「新潟よみうり」である。これも新聞販売店系だが、詳細は不明。

 これまでは全て地方都市の例だが、昭和34年(1959年)に電通が当時の東京における新興マーケット=人口密集地区に着目して、タブロイド判の団地新聞「アパート・ウィークリー The KEY」を創刊した。が、26年後事情により休刊した。しかし、読者の再刊への要望が強く、半年後にその精神を引き継いで、関係者により「The New Key」として公団向けに再刊された(現在の発行社は東京都中央区で団地通信社、タブロイド、隔週刊)。また、同じ年に福岡市の団地新聞社が「団地新聞」(タブロイド判、月3回刊)を創刊した。

 1970年代に入ってから、昭和46年(1971年)6月に産経新聞が広告局から現「サンケイリビング」(最初の題号は「フジサンケイリビングニュース」)を、東京新聞が広告局から同年8月に「東京新聞ショッパー」を創刊したことがフリーペーパーの一大変革期を形成する。なぜなら、両紙ともアメリカのフリーペーパーを参考にして、従来にない形で発行されたからだ。新聞系のものがほとんど親紙の読者サービス紙として誕生したものが多かった中で、そうした枠にとらわれず、地域集中配布型の、しかも広告局系初のマーケティング・SP媒体を狙ったことも特徴的だ。この2紙の創刊によって、1960年代までは全国で100紙に満たなかったものが、70年代になって一気に倍増の200紙となった。

 80年代には更に飛躍して540紙誌となり、90年代にはその倍近くの990紙誌へ、2000年代はまだ終わっていないが1600紙誌が存在するまでになった。06、07年度だけで各200紙誌以上が増えたと思われる。数字の上では2000紙誌(題号ベース)をゆうに超えたと思われる。

 破竹の勢いで伸びているマガジン系が急増したのは1990年代で、そう古いことではない。大部数を誇る広告だけのマガジン、「ぱど」は昭和62年(1987年)の創刊、クーポンマガジンを標榜する「HOT PEPPER」は平成12年(2000年)にリクルートによって創刊された。このクーポンマガジンは、全国数都市で「サンロクマル」の題号でテストマーケティングした結果に基づいている。

 そのリクルートが平成17年(2005年)に電通の協力の下で創刊した、記事を伴った若者向けの「R25」や、それに次ぐ平成19年(2007年)創刊の「L25」も新機軸として注目された。同じ年に漫画誌「コミックGUMBO」が創刊されて世の注目を浴びたが、1年もたずにあえなく撤退した。マガジン系の増え方はいまやペーパー系をはるかにしのいでいる。しかし、マガジン系は消長が激しく、全体的には、JAFNA会員のほとんどがそうであるように、タブロイド判の生活情報紙、もしくはコミュニティペーパーが中心的な存在であることに変わりはない。

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